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その3 酒井抱一作『月に秋草図屏風』について……そのユニークな空間構成 [大琳派展]

  『大琳派展-継承と変奏-』に寄せて[その2]では、『大琳派展』での酒井抱一作『夏秋草図屏風』の展示の仕方に疑問を呈しました。そして当屏風との関係で、この『月に秋草図屏風』について触れました。抱一にとって両作品には濃厚なつながりがあり、『夏秋草図屏風』を描き切ったからこそ、『月に秋草図屏風』に取り組むことができたのだろうと、かなり主観的な推測を述べました。

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〈酒井抱一『月に秋草図屏風』  ペンタックス株式会社蔵〉


  この『月に秋草図屏風』(六曲一隻。縦139.5cm、横307.2cm。ペンタックス株式会社蔵)には、青味がかった(酸化により変色)銀色の満月が、右から第三面の上部に大きく描かれています。その月は、横V字型に斜め上へと伸びあがり、あるいは右手前へとせり出す葛の葉むらに、ゆったりと半ば囲まれるように浮かんでいます。この満月は中天近くにかかっているのではなく、描かれてはいませんが、地平線を出て昇りだしたところです。秋の夕刻でしょう。今回の『大琳派展』にも出品されている同じ抱一の『秋草鶉図屏風』(二曲一隻。山種美術館蔵)の月の位置に近いと思われます。
  この『月に秋草図屏風』では、屏風の下部およそ三分の一は俯瞰のアングルで捉えられています。秋草の群の生えぎわあたりの描き方から云っても、右手前へ斜めに伸び広がる葛の葉の描き方から云っても、見おろしている画家の視角は明瞭でしょう。画家抱一の眼の高さは屏風の上端から三分の一、ほぼ満月の下辺あたりでしょうか。
  本屏風における月の高さについて触れたのは、本展図録の『月に秋草図屏風』の解説に(作品横の解説文も同じ)、「丸い銀の月に葛の葉の先端が触れて、地面から月を仰ぎみるような視点が与えられている」とあるからです。解説者は、満月に上へと伸びた葛の葉の一枚が触れているようにみていますが、月は画家の眼の高さほどで、「地面から月を仰ぎみるような視点」などというみかたをすることはないのです。そのような「視点が与えられている」とは云えないでしょう。畳に本屏風を立て、その横に寝ころがってでもみれば、そういうみえ方に近くなるでしょうが、座るかさらに立ってみれば(立てば眼の位置は屏風上端をこえるほどです)、仰視のアングルで描かれているのではないことは明らかでしょう。当ブログの[その1]でも述べたように、屏風を展覧会場に立てて展示する場合、その高さが重要なことが分ると思います。

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  この『月に秋草図屏風』は水墨の濃淡表現を巧みに駆使し、一部に「たらしこみ」の技法も用いて、上へと伸び横へと広がる葛の大きな葉むらを、自在でしかも繊細な筆遣いで描き出しています。またしなやかに伸びる葛の蔓の、生気が脈打っているような表現も見事なものです。
  緑青・群青のほか赤や白も草花の描写に効果的に用いられていますが、全体に色彩表現はかなり抑制されています。そして金地に描かれた濃淡の水墨の変化によって、下地の金がうすい墨色の葛の葉ではすけて見え、葉うらにあたっている月明かりをたくみに感じさせます。秋草は葛のほかに、女郎花・桔梗・薄・藤袴など多くは低く、葛のまわりに身を寄せるように優しく描かれています。瀟洒で情感のこもった画面からは、ゆたかな空間の広がりが伝わってきます。
  では、この『月に秋草図屏風』の構成上の基点はどのあたりにあるのでしょうか。それは左下の秋草の生えぎわ、六曲屏風の左二曲が奥に折れるところに据えられています。ここが屏風中でみおろした視界のいちばん遠くになるように描かれています。
  酒井抱一は、すでに触れたように、屏風上端から三分の一ほどに眼の高さをほぼ固定し、俯瞰でとらえた草花の生えぎわから上へと、映画のパンの手法のように視角を移し、斜め上へ伸びる葛の葉むらを間近な水平視からさらにいくらかの仰視で捉えているようにみえます。抱一がこのような視覚の方法に充分に自覚的だったとは思えませんが、固定した視点から画家の眼が対象をなぞるように捉えた視界の移動を、この屏風に向かう者もとくに意識することなく、同じようにたどって眺めているような気にもさせられます。そしてこのような複数のアングルをとりこんで構成したとも云えるこの屏風画面からは、独特な空間の存在感・遠近感が伝わってきます。
  もともと金地や銀地そのままの屏風や襖絵では、そこに描かれた景物は背後の空間に位置を占められず、空間での実在感は拒絶されています。花鳥画の場合、景物の上下の配置、大小の描き分け、濃淡の差などによって、画面に奥行き感を導入できますが、このようにひとむらの草花の下部の密集と、その先の枝ぶりと葉むらだけから、まわりの金地へと広がる三次元空間の実在感をこれほどに表現できたのは、抱一の大きな手柄と云っていいでしょう。(なお、この屏風絵は同じ抱一の著名な『夏秋草図屏風』が、銀地に草花の群れを横に並べて空間性を抑えるように表現しているのに対し、構成上いちじるしい対照性をみせています。)
  このようにみてくると、酒井抱一がこの総金地の『月に秋草図屏風』で達成したような表現世界は、どのような影響関係のもとにあるのかということが気になります。近世後期画壇の百花繚乱のなかで、円山派や沈南蘋の流派、また抱一が親しかった谷文晁(1763~1840)らからの影響よりもとくに注目すべきなのが、抱一より9歳年上の呉春(松村月渓。1752~1811。四条派の祖)の存在ではなかったでしょうか。京都の四条派からの影響はむろんすでに指摘されています。円山応挙(1733~1795)から学んだ写生画の手法をもとり入れて呉春が達成させた、柔軟な筆致による洒脱で情感ゆたかな絵画世界。そういう呉春に注目して抱一が彼から摂取したものの反映を、この作品に指摘できるのではないかと思います。

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  ところで宗達-光琳派では、横長の屏風の場合とくに顕著ですが、対象を捉える画家の視点は移動し、それぞれの草花の群を基本的には正面から描いています。もちろん屏風全体に及ぶ構成意識には作品により強弱が認められますが、草花が正面観で、もっとも美しい姿・かたちで捉えられ併置されているような画面空間は、装飾的な印象をつよめています。抱一の当屏風とは、今まで述べてきたようにずいぶん違います。また俯瞰的な、あるいは仰視的な表現は、宗達-光琳派の屏風作品にもみられます。しかし抱一のこの屏風のように、視点の位置はほぼ定めたうえでの俯瞰からいくらかの仰視までのアングルの併存は珍しいのではないでしょうか。
  この『月に秋草図屏風』での草花の布置は、云うまでもなく透視画法にもとづいた合理的な空間設定によっているわけではありません。草花の群の生えぎわとその先に大きく広がり伸びる葛の蔓葉とのつながりにも、空間的に奇妙なゆがみや曖昧さが感じられもします。右上方への葛も空間の奥へ伸びているのか手前なのか必ずしも分明ではありませんし、斜め右下への葛も画面下からの別の葛の葉と一部で重なっているような描き方になっています。(余談ですが、あたかも二枚の羽根をもった巨大な種子が宙に浮んでいるようにみえてきたりはしませんか。)
  本屏風があたえるこのような不思議な感覚、すなわち三次元的に捉えられたこの屏風空間がみせる現実感と非現実感の奇妙な共存も、この作品の魅力のひとつと云えるでしょう。しかし、これも平面に広げた図版などと、六曲で立てた実作とでは、たとえばこの横V字型の葛の蔓葉の広がりがあたえる視角像にかなり異なった印象を受けます。実際の屏風では、非現実的などと云ってもそこは微妙で、よりこまやかによりたおやかに組みたてられた空間構成があらわれてきます。
  なお付け足しますと、あまり目立たないながら構成上興味を引かれるのが、右から第四面に画面外から斜めに伸びあがる細い薄と藤袴です。これは左の大きな秋草の一群に呼応しつつ画面に律動感をさそい、屏風右端まで伸びる手前の葛と直交しつつ視覚的にはこれを支え、画面に平衡感をあたえる役割をさりげなく果たしています。
  とにかくこの六曲一隻の屏風には、空間把握や画面構成上のいくつかの工夫や趣向が窺えます。琳派様式というワクもはずし、総金地の草花図屏風として本作品をみれば、江戸時代後期の絵画のなかでも空間表現のユニークさでは、注目すべき秀作のひとつと評価すべきだと思います。

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  画家の眼の高さはほぼそのままで、視角をかなり移動させて、間近の対象を捉えるという描き方が同じように窺われる作品は、宗達や尾形光琳にも見当らないようです。すでに触れたように、抱一自身、この映画のパンの手法にも通じるような空間把握に意図的だったとは思えません。たぶん眼前の草花をスケッチしているなかで、このような独特なアングルに引きつけられ、屏風上に展開させてみようと、画面構成を試みた結果でしょう。
  ところで上述のような視角では、とくに横長の屏風の場合、対象空間が上下間で圧縮されて取りこまれているような印象を与えがちですが、この屏風ではそういうことはありません。それはひとつには、秋草の生えぎわへの奥行きを感じさせる描き方、そして上下両方へ動勢をみせながら伸びる葛がともに屏風画面を突きぬけて描かれていること、また横V字型に伸びている葛の蔓や葉の右方へ、満月を包みこみながら金地の空間が大きく広がっていることなどによるのでしょう。
  なおこれとはかなり異質ですが、空間表現の特異さで思い浮かぶのが、酒井抱一より250年ほど前、東北南部から関東で活躍した水墨画家雪村(雪村周継。1500頃~1580頃)です。雪村の山水屏風や花鳥屏風のなかには、対象空間をゆがめ圧縮して、無理やり画面に押しこめたような、ちょっと超現実的な相貌をみせるものがあります。むろん抱一のこの屏風とは直接つながりませんし、抱一が影響を受けているともいえないでしょうが。ともかく抱一のこの金地屏風は、遠近法的な視角に独特な虚構性が感じられる一方で、合理的な空間把握への志向もたしかに認められます。(なお、酒井抱一が私淑した尾形光琳が雪村にとくべつの関心を示し、雪村作品を所蔵し、模写も試みているという興味深い事実も知られています。)
  調べも不十分で、印象めいたことを気軽に書いてしまったという気分ですが、この『月に秋草図屏風』は、抱一作としては奥深い魅力にとんだ出色の作品ですので、ながい文章になってしまいました。

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  ところが、この『月に秋草図屏風』はたしかに酒井抱一の真作なのかという疑問が、一部の研究者から出されているのです。彼の作品中、群を抜いた秀作と評価され、酒井抱一作として「重要文化財」にも指定されている当作品にとって大きな問題提起です。私としても、これまで『月に秋草図屏風』を抱一の代表作であり、むろん真作という前提で書いてきましたので、いくらかでも言及せざるを得ません。
  ここで“真作”というのは、100%ではないにしても作品中の主要部はもちろんのこと、全体的にもほぼ抱一が手がけたものということで、抱一の数多い弟子の誰かが(複数の場合もあったでしょう)おもに描いて、そこに抱一の署名・印章を付したものではないということです。判断を難しくさせているのは、多くの注文に応えるためにも、とくに抱一の晩年にはそういう作品が相当につくられたらしいからです。しかも抱一の高弟鈴木其一(1796~1858)が師の代筆を引きうけていたことが分る資料まで知られるようになり、この問題をいっそう複雑にさせています。
  真作とたしかに断定できるのかとの疑念を早くに示したのは、琳派とくに酒井抱一研究家として著名な玉蟲敏子氏のようです。氏は断言されている訳ではありませんが、1997年刊の『酒井抱一』(新潮日本美術文庫18)の『月に秋草図屏風』解説で、「右上方へあるいは下方へと広がりゆく葛の茎の動きが抱一としてはダイナミックにすぎる」とし、なお署名の書風や印章も問題視したうえで、「制作背景に関してはなお検討が必要な作品でもある」と慎重なコメントをしています。(その後の氏の著作では、この問題への言及はないようです。)
  この『月に秋草図屏風』の署名は「雨華葊抱一筆」(「葊」は「菴」、すなわち「庵」)です。他の抱一作品のいくつもの款記と比べて、やや書体に書き癖を強調しているような作意がみえると云われればそのようにもみえますが、異筆とは決めつけ難いと思います。それと印章ふたつのうち、「文詮」の朱文瓢印の押印例は少ないようで、たとえば京都国立博物館蔵の『四季花鳥図屏風』(二曲一双)のものと同印かどうかも、はっきりしないようです。
  玉蟲氏は同書中の図版に、満月を「取り巻くように、L字型」に葛の蔓が伸びながら大きな葉を広げている部分写真を掲載して、抱一としては「ダイナミックにすぎる」という感じを分かりやすく伝えようとしています。
  たしかに葛の長く伸びた蔓の表現は、しなやかで強靭な手ざわりを実感させるほどです。ためらいなど微塵もなく、一気に引いた運筆には気迫さえこもっているようです。しかもこの蔓には水墨で微妙な濃淡を描き出して、月明かりの反映や蔓の重なりの遠近感も表現しています。
  葛の長く伸びる蔓は、当ブログ[その2]で取り上げた『夏秋草図屏風』左隻でも大きく描かれています。こちらは下絵で推敲し、試行を重ねてつくりあげた決定的なかたちを本絵に写し、息をつめるようにして線を引き色を塗って仕上げた完成作として、抜群の構成力と理想美をみせています。それに対し、この『月に秋草図屏風』では、眼前の秋草の群生を前にしての抱一の感興が息づいていて、いきなり本画にとりかかったような、即興性と豊饒な生気が伝わってきます。前者が古典的なのに対し、こちらはバロック的です。
  この葛の蔓の精気のこもった生き生きとした表現は、酒井抱一の他の作品には見出すことが困難なほどのものです。むしろ前述した鈴木其一の作品に似た傾向のものがあるようです。(たとえば『月に葛図』一幅、個人蔵、本展出品番号Ⅳ-62。『秋草図屏風』二曲一隻、出光美術館蔵、『琳派』〈紫紅社刊〉第2巻212図。)しかし葛の蔓や葉の水墨を主としたあざやかな描き方ばかりでなく、屏風全体のまことにユニークな表現世界から、別の画家を具体的に名指しするのはやはり容易ではないと思われます。
  当ブログ[その2」で私が想像したように、『夏秋草図屏風』の完成後、60歳になっていた抱一が、この作画への集中で体験したつよい緊張感から解放され、あらたな屏風制作へ踏み出そうとする意欲が、この『月に秋草図屏風』に向わせた原動力になっているとしたら、たとえ類例は残っていないにしろ、この葛の蔓葉が画面に展開しているダイナミズムが、当代画壇の様々な画法を幅広く学び摂取していた酒井抱一の表現力の限界を、あきらかに超えていたものとは云えないでしょう。とくにこの屏風には、すでに強調したように、対象への新鮮な心のうごきをも表現に反映させる、抱一としては珍しくすなおなまなざしが顕著ですから、そのことも軽妙で奔放な、ときに繊細な運筆を自在に試みさせて、この傑作を結実させえた大きな要因になったのだと思います。

  酒井抱一は、その画風の様式的展開をたどることが困難な画家ですが、それはそれとして、研ぎすまされた感性に支えられて、稀にずいぶん純粋で、ある面尖鋭とも云えるような表現を、ほとんど奇跡的に達成してみせることがありました。まさに『夏秋草図屏風』がそうであったようにです。直後ではないにしても、それほど時間をおかず描かれたと推測されるこの『月に秋草図屏風』も、数少ないそういう作品だと考えたいのです。
  ということは、酒井抱一には現代の私たちの眼からみて、似たり寄ったりの ―― きれいで上品で、いくらかの趣向もうかがわれるとはいえ ―― さして魅力を感じさせない作品が多いということでもあります。そういう意味では、今回の『大琳派展』には、抱一の画作は残っているものがずいぶん多いからでもありましょうが、並べすぎではないかと思いました。むしろ、抱一の江戸琳派最大の継承者となった鈴木其一の意欲作をあと何点か展示して(たとえばメトロポリタン美術館蔵の大作『朝顔図屏風』など)、其一の画業をいっそう顕彰してほしかったと思います。
2008.11.5 さいとうたかし

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